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埼玉県本部40年の歩み

講演「埼玉県本部40年の歩み」

講師 増田 明弘 埼玉県本部顧問
平成23年10月22日(土)
朝日新聞さいたま総局会議室

(司会) 林 喜一 総本部理事 
 本日は、増田明弘先生から、埼玉県本部の初期の歴史を中心にお話しいただくことになりました。増田先生が県本部の委員長をされている時に、県本部のホームページを開設したのですが、全国でも早かったように思います。また、テレビ埼玉に週1回、10分間の全日写連の番組を持ち、5年間続きました。さらに現在も続いている全日写連グラフコーナーもこの時にはじまりました。

 今年の初め増田先生から、「写真に対する情熱はまだまだ変わりなく、埼玉県本部に対する気持ちは今まで以上に持ち続けて行きたいが、ここで関東本部委員を卒業させてもらい、次の若い人達にバトンタッチして、全日写連全体のさらなる活性化のお役に立ちたい」と自ら卒業の意向をお話し下さいました。私の心の中には「いやそれは待ってもらいたい」との思いもありましたが、連盟の全国組織にかかわる自分の立場を考えると、先生のご意向は大変説得力を持っており、他都道府県もぜひ右へ倣いをしてほしいというご英断であると考え、承ることにしました。

 本日は、増田先生から県本部の基礎づくりの苦心談等をおうかがいし、今後の県本部の活動の指針にしたいと思います。
では、増田先生よろしくお願いします。

(講演) 増田 明弘 埼玉県本部顧問 
 過分なご紹介をいただき恐縮でございます。
 さて、埼玉県本部が設立されて早くも40年余(正確には38年)になりますが、この間の歴史が記録としては全く残っていないので、本日は私の記憶を辿り、設立当初のことからお話をしてみます。

(初代 清水武甲委員長の時代)

 「全日本写真連盟埼玉県本部」は、昭和48年(1973年)に発足しました。初代の県本部委員長を熊谷支部長の八木橋信吉先生にお願いしたところ、先輩の秩父支部長の清水武甲先生を差し置いてはできないと断られました。そのため、当時の朝日新聞埼玉支局長、敏蔭英三先生と私の3人で清水先生にお願いして、お引き受けいただきました。

 県本部の設立に参加し、現在も活動中の支部は、秩父(昭和27年設立)、浦和・川口(昭和35年設立)、越谷(昭和44年設立)、および熊谷(昭和45年設立)の5支部です。
 清水先生の県本部委員長在任は、22年間に亘りました。
 この間に設立され 現在も活動中の支部は、川越(昭和58年)、戸田(昭和64年)、フォト茜(平成4年)の3支部です。

 また、主な事業としては、設立当初から「県本部撮影会」が毎年開催されたほか、昭和50年から「埼玉県本部展」(昭和59年から「埼玉県写真サロン」に改称)が、昭和61年から「埼玉の自然フォトコンテスト」が始まり今日に至っています。
 清水先生の功績は大きく、私たちに多くの影響を与え、素晴らしい先生でございましたが、在任期間は少し長すぎると感じていました。

 清水先生は在任中にご病気になられましたが、その清水先生を支え、埼玉県本部の組織を維持したのは敏蔭先生の功績によるものでした。県写真サロンなど大きな展覧会の審査は、清水先生のご自宅まで作品を持って伺い審査をしていただくなど、敏蔭先生は足しげく秩父まで通われました。

(第2代 敏蔭英三委員長の時代)

 平成7年(1995年)1月、清水先生がお亡くなりになり、敏蔭先生が第2代県本部委員長に就任しました。県本部委員長を引き継いだ敏蔭先生は、過去22年間の内部整理に追われ、そのために多くの時間を費やすことになりました。
 私もそのお手伝いをしましたが、この時の経験から県本部委員長の任期は、2期4年が適当ではないかと話し合い、私の委員長時代になって、原則として委員長の任期は2期4年とする申し合わせができました。

 平成10年、敏蔭先生は県美術協会の写真部会長に就任することになり、県本部委員長との兼任は適当でないとのお考えから退任されました。
 敏蔭先生の在任中は、平成7年に すいよう支部、平成8年に彩北支部が設立され12支部になりました。また、この間、現在も県本部のメイン事業である「県本部例会」がスタートしたほか、写真セミナーが開催され、平成9年には「第4回シニア写真セミナー(講師細江英公氏)」が開催されました。

(第3代 増田明弘委員長の時代)

 平成10年(1998年)に、私は第3代県本部委員長を敏蔭先生から引き継ぎましたが、委員長に就任したとき、先ず他都道府県に先駆けて、県本部の運営を組織化しようと考えました。当時は、まだデジタル写真は日本では言葉だけの時代でしたが、林喜一先生のようにデジタルに詳しい方がいたので、第1に「デジタル写真の発展、普及」を、第2に「女性支部の設立」を、第3に「会員数の増加」を目標に掲げて、県本部の組織的な運営を進めました。

 初回の「デジタル写真講習会」は、林先生に講師をお願いして指導者養成を目的に平成10年に開催し、以後同好会、研究会組織に発展させ継続しました。この時の参加者が現在、県本部の中心的な存在になって活躍しているわけです。

 女性支部は、「女性だけの写真教室」を平成11年に2回、翌年に1回実施しました。この参加者を会員に取り込んで女性部会を発足させ、さらに新支部設立にもっていき会員増につなげました。

 このほか、平成10年、テレビ埼玉に毎週約10分間、県本部の番組を持ち、全日写連事業のPRとともに、会員が交替で出演して作品を発表しました。この番組は以後5年間も続きました。また、平成12年には朝日新聞埼玉版に「全日写連グラフ」のコーナーが確保でき、会員の作品と全日写連の紹介記事の連載が始まりました。

 平成13年には県本部のホームページを開設し、インターネットを利用した情報発信を他県に先駆けて開始しました。このようにテレビ、新聞、インターネットなどを活用した新しい事業の効果もあって、口コミによる各支部への入会希望者も増えてきました。

 支部および会員数は、私の県本部委員長時代になってから急速に増え始め、次の坂巻高次先生および林先生、原田守雄先生の委員長時代へと続き、最近の15年間にピークを迎えました。

 私は、県本部の組織化を林先生とペアを組んで進めました。林先生は私の相談に乗ってくれ、アイデアを出してくれたので、組織の基盤作りを進めました。
 新しい支部は、平成11年に彩南、ふぁいん、平成13年に春日部、女性、西武、MAP21が設立され18支部に増えました。

(第4代 坂巻高次委員長の時代)

 平成14年(2002年)、私は2期4年の任期もって退任し、坂巻先生が第4代県本部委員長に就任しました。坂巻先生に委員長就任をお願いしたとき、身体の具合が悪いから無理といったん断られましたが、1期だけでもとお願いし引き受けていただきました。

 私は、県本部顧問に就任し写真教室事業を担当することになったので、会員のレベルアップのための研修会と、会員増加策として一般を対象にした写真教室を計画しました。平成14年には、新聞公募に応じた200名を対象に「自然写真教室」を開催、自然風景写真の撮影技術を指導し、支部の設立につなげました。

 坂巻先生の在任中、平成14年に大宮支部、彩央支部が、平成15年に東浦和支部が設立され21支部になりました。また、平成15年4月には、朝日新聞社および連盟から、埼玉県本部の活動実績が評価され、「全日写連奨励賞」を受賞するという栄誉に浴しました。

(第5代 林 喜一委員長の時代)

 平成16年(2004年)、坂巻先生が退任し、林先生が第5代県本部委員長に就任しました。林先生の時代に県本部の組織は、さらに肉付け、充実されて現在の形が出来上がり、関東本部の中でも注目される県本部組織になりました。

 平成16年4月、県本部の事業内容やニュースを会員に周知するために、県本部会報が創刊されました。以後、現在も年4回の発行が続いています。会員増を目的とした一般公募による写真教室は、平成16年に「初心者向けデジタルカメラ教室」(応募346名)、平成17年、「第2回デジタルカメラ教室」(応募300名)を開催し、新支部結成につなげました。

 平成18年には、横浜市で全日写連80周年記念事業の最大イベント「こどもの国撮影会」があり、埼玉県から618名が参加しました。また、帝国ホテルでの80周年記念式典では、敏蔭先生、坂巻先生とともに私も功労者として表彰を受けています。

 平成19年3月の総会には全日写連会長の田沼武能先生をお招きし、講演会、懇親会を県民活動総合センターで開催したのも大きな出来事でした。
支部の設立はますます進み、平成16年に熊谷中央、ネーチャーフォト、平成18年にデジタル、デジタルアート、フォト80、平成19年に彩西支部が設立され27支部になりました。

(第6代 原田守雄委員長の時代)

 平成20年(2008年)、林先生が退任し、原田守雄先生が第6代県本部委員長に就任、現在に至っています。組織的に確立した県本部を引き継いだ原田先生のご苦労は大変だったと思いますが、この充実した状態を維持、発展させているのが現状です。

 原田先生になってからの主な事業は、平成20年に「今さら聞けないデジタルカメラ教室」を、平成22年、県北地区の熊谷で「デジタル一眼カメラ教室」を開催しました。このほかの事業としては「県本部ホームページ」のリニューアルや、初めての試みとして所沢市で「県西地区個人会員の集い」が開催されました。

 支部の数は、平成21年にデジタルスクール、所沢、平成22年に彩友アート、東松山、平成23年にSKP支部の設立がありましたが、一方で、高齢化による会員の減少で支部の維持が困難になったとして平成21年に鳩ケ谷(平成4年設立)、平成23年に写楽フォト支部(昭和56年設立)が解散したため、30支部となっています。
 また、平成22年に埼玉県本部は、朝日新聞社、連盟より2回目の「全日写連奨励賞」を受賞しました。

(むすび)
 振り返ってみると、私の県本部委員長就任以降、この15年間で埼玉県の支部、会員数は考えられないような増え方をしましたが、最近の他都道府県の数字を見ると逆に信じられないほど落ち込んでいます。埼玉県もわずかに減少していますが、皆さんがもうひと踏ん張り努力していただけば、挽回可能な数字です。

 また、平成19年に林先生が関東本部委員長に就任されましたが、これは埼玉県本部にとっても名誉な出来事でした。その時私にも協力の打診がありましたので、ぜひお願いしますと申し上げ推薦した記憶があります。林先生は能力に優れ、ことにデジタル写真知識の第1人者であり、新しい関東本部委員長に不可欠な条件、実力を備えており、歴代委員長の方々には失礼ですが、林先生でなければこの時代は乗り切れないと思いました。
 さらに今年は、林先生が総本部理事に、原田先生が関東本部副委員長に就任されました。埼玉県から中央で活躍する人が2人も出たのは画期的なことです。

 埼玉県本部の充実した現状を皆さんに引き継いでいただき、さらに持続、発展させていただくためには、今担当している皆さんの活躍にかかっています。ぜひ頑張っていただき県本部を更に素晴らしい組織として盛り上げていただけたらありがたいと思います。
 県本部の草創期からの歩みは以上のとおりです。どうもありがとうございました。 

                      (記録 事務局 大野登・佐々木文世)